荒木宗太郎とアニオー姫
平成18年度の長崎くんちで、ベトナムと縁のある本石灰町が御朱印船を奉納しました。
 7年に1度しか回って来ない踊町が、当協会が設立4年を迎えた年に回ってきたことで、私達としても何かの形で参加したいという思いから、長崎ベトナム友好協会は本石灰町のおくんち奉納に協賛させていただきました。
 引き続き、奉納で使われる婚礼衣装、音楽などに注目し、当時の資料の調査や現地での情報収集を進めていきます。
 ←平成18年(2006年)長崎くんちへのお手伝い内容についてはこちら。
▲理容たていし(くんちミニチュア見聞館)のショーウィンドウに本石灰町発見!!
すべてご主人の手作りだそうです。
読み物 −まずはこちらをお読みください−
★英語版はこちら(For English)
荒木宗太郎とアーニオ姫
(2006年)
特定非営利活動法人 長崎ベトナム友好協会 理事長 冨岡 勉
崎とベトナムとの関係は16世紀まで遡ります。
なんだか突拍子のない話のようですが実は大変古い歴史があるのです。
 今回は長崎ベトナム友好協会の御紹介を兼ねて報告致します。
荒木宗太郎(?〜1636)はもとは肥後熊本の武士でしたが、1588年長崎へ移り、長崎の飽の浦に屋敷を構えました。当時は日本人が東南アジアに出かけていき多くの日本人町を建設した頃でした。
宗太郎は自ら御朱印船に乗り込みルソン、安南、シャム、カンボジアなどに赴き朱印船貿易を行い巨万の富を築いたといわれています。1619年コーチ(ユエ付近)に渡ったとき安南国王の外戚の娘、王加久(わかく)を妻としてめとりました。その後彼は王加久を長崎につれてきて本石灰(もとしっくい)町に貿易の館を構えました。おそらく国際結婚をして国王の娘(養女)を日本に連れてきたのは彼が初めてだろうと思われます。
彼女は当時長崎の町民にアニオーさんと呼ばれ親しまれました。王加久の輿入れの豪華な有様は、いまでも長崎のおくんちの奉納踊りにみることが出来ます。

長崎のおくんちでは、7年に一度街々に出し物を出すことが義務づけられています。出し物を出す当番に当たったおくんちの踊り町では蛇踊り、こっこでしょ、傘鉾など多彩な出し物で祭りを盛り上げます。ちなみに現在の本石灰町のおくんちの出し物は帆先に荒木宗太郎とアニオー姫が乗った御朱印船です。
     ↑御朱印船の船先に乗っているのが
       宗太郎とアニオーさん役の子どもです。



←平成11年奉納の長崎くんちの様子。
 次の本石灰町「御朱印船」の奉納は平成18年です。
また荒木宗太郎とアニオー姫は寺町にある大音寺の荒木家のお墓に一緒に眠っています。
(アニオーさんが10年長生きしましたが、偶然にも命日は同じ。)
こちらの小説もオススメします。
岩崎京子著、偕成社出版 「荒木宗太郎〜王女を嫁にした朱印船主」
白石一郎著、文春文庫
「朱印船の花嫁」
白石一郎著、文春文庫