新春のお慶びを申し上げます。
私にとり、昨年は衆議院議員としての活動の最後の年でありました。
改めてこれまでを振り返ってみると、皆様より初めて立法府である国会に送っていただきましたのは、平成17年(2005年)9月の衆議院選挙でした。これまで、現後援会長の松元定次先生に至るまで長崎市の歴代医師会長にお引き受け頂き、医師会始め同門会、同窓会など多くの先生方の温かいご支援を受けながら活動を続けて行く事が出来ました。そのお陰で国会活動4期、約12年間において、様々な分野の議員連盟を立ち上げ、携わり、国会議員の使命である「政策立案能力」の向上に努めました。その結果、主に医療や科学技術の分野での議員立法を多数提出し、成立させる事が出来ました。
1期目には、まず私の出身である長崎大学第二外科兼松隆之・江口晋教授が携わる分野である「臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案」を平成18年3月に提出しました(成立は平成21年)。次いで「カネミ油症事件関係仮払金返還債権の免除についての特例に関する法律案」を成立させ被害者の方々の救済へと繋ぎ、さらに「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律の一部を改正する法律案」を成立させ現在問題に成っている被爆体験者支援対策を行うなど、思い出深い法律を次々と議員立法として成立させる事ができました。
私の提出法案の中には議員立法の「再生医療を国民が迅速かつ安全に受けられるようにするための施策の総合的な推進に関する法律案」と、後に成立する閣法2法案(安全確保法、薬事法の改正法案)とを合わせた再生医療3法案が有ります。これらの法案により、いわゆる「条件付き早期承認制度」の道が開かれることになりました。これにより再生医療分野において、再生医療製品が他に代わる治療手段として存在しない場合には、一例でも成功していれば、条件付きで早期の製品使用が可能となったわけであります。これは当時、世界中から懐疑の目をもって見られ「再生医療製品公害を引き起こすのではないか!」とサイエンス誌などの批判を浴びました。しかし、現在ではアメリカもこの制度に同調する動きをみせており、再生医療分野のみならず医療機器や薬剤にまでこの制度が広がってきています。この制度の広がりはもちろん薬害公害などへの危惧もありますが、今回この早期承認制度によりコロナ禍におけるファイザー社などのワクチンの早期使用が実現できることに繋がったものと思います。
他にも、「国民が受ける医療の質の向上のための医療機器の研究開発及び普及の促進に関する法律案」を成立させ、視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚いわゆる五感に関する医療機器の輸出などにより外貨を得る道を開き、今まで主張してきた医療を中心とした科学技術立創造立国を進めるためのベースが整ったと思っています。
そして、東京オリンピック・パラリンピックにも繋がる、ロシアに見られたドーピング問題を阻止するための「スポーツにおけるドーピングの防止活動の推進に関する法律案」や「スポーツ基本法の一部を改正する法律案」など、多種多彩な法案の成立について一覧表に示す活動を行って参りました。
また3年前(2019年)の、ハンセン病(らい病)に関する「旧優生保護法に基づく優生手術等を受けたものに対する一時金の支給等に関する法律案」は、厚生労働委員長として提出し成立させた思い出深い法案であります。
さらに完成もしくは完成間近なものとしては、①航空機基本法(小型の超音速旅客機を日本の特許技術を使い日本主体で作るための基本法)、②水族館の機能の維持及び向上に関する法律(街なか開発のために水族館を活用する法案)、③IMAT(Infectious Medical Assistance Team:感染症派遣チーム)設立法案、などがあり、今でも引き続き、議員会館や自民党本部にも出かけていき、やり残した議員立法成立に向けて取り組んでおります。
私が政治家として、関係した重要な事案はやはりコロナ対策でありましょう。感染症の脅威については、母校の長崎大学がその任に当たらなくてはいけないことは、政治の世界に入る前から分かっていました。したがって平成17、18年頃より、長崎大学を感染症対策の一大拠点にするべく動き始めました。当時、東京都武蔵村山市にあるBSL4は建設して30年余りがたっているのにも関わらず、住民の反対があり、一度も使われていない状態にありました。
このような環境下、私は所属する厚生労働委員会において、感染症対策についての質問を通じて、政府・厚生労働省に、もう一カ所、診断のみならず研究も出来る施設の設立の働きかけを行い始めました。当時、東北大学の教授であった賀来満夫先生にも公聴会にお越し頂き、意見を委員会で聞かせて頂きました。当時、長崎大学では、片峰茂先生が学長をされており、感染症対策の必要性には十二分にご理解があり、大学の方針としても学内にBSL4施設を建設することが決定されました。
以後、住民の反対はあったにも関わらず、調漸副学長、森田公一熱帯医学研究所所長など多くの先生方のご尽力により、本年7月の実験棟の完成までに至りました。また、この施設の運用にあたり運営費が問題になりますが、この施設の運営に関しては、河野茂学長等のご尽力により国策として推進することが閣議決定され、10年間で使い切り1000億円ファンドの設立にこぎつけるに至りました。また、これとは別に国公立大学振興議員連盟(河村建夫会長、冨岡勉事務局長のコンビで、世界と伍する研究大学の実現に向けた「大学10兆円ファンドの資金運用」の基本的な方策について令和3年においてはこのうちの4.5兆円を獲得するに至りました。私達も10兆円まで積み上がるとは思っておりませんでしたが、残りの5.5兆円においては、令和3年度の補正また令和4年度の本予算において、獲得する目途をつけています。これにより、1000億円使い切りファンド(10年間)とこの「10兆円大学ファンド」(年間運用益2000億円~3000億円)により、コロナ禍における我が国初の大型霊長類(カニクイザル)を使う、世界で9番目のBSL4研究施設が稼働できることになります(図1)。この施設はこれまでにも西村康稔経済再生担当大臣、萩生田光一文部科学大臣等に視察を頂き、これからも多くの方々に見て頂く予定にしており、名実とも「国策」として、日本のみならず世界の感染症センターとしての地位を築いて行けるものと思っています。
ちなみに先ほど図1に示したようにアジアには霊長類を扱えるBSL4施設は、我が国を置いて他には在りません。我が国は安倍晋三前総理・菅義偉総理が、我が国主導でアセアン10カ国のタイに55億の予算をかけてコロナ対策の拠点としてのアセアン感染症センターを提供する、と昨年から明言しています。我が国はこのプロジェクトにたいして長崎大学をはじめとして、人材の育成などの協力を申し出ています。またアフリカ、ケニアの首都ナイロビに在るケニア中央医学研究所(ケムリ医学研究所)は、我が国が長年JICAを通じて援助し、我が国の重要なアフリカ拠点となっています。このケムリ医学研究所の発展的建て替えも、今回30億程度の予算を頂くことが出来る予定です。これもひとえに1966年、今から50有余年前からコツコツと積み重ねてこられた、先輩諸兄の努力の賜物だと深く感謝を申し上げ、敬意を表するものであります。
これからも長崎大学は日本における医学発祥の地に相応しい、コロナを含め、感染症対策など人材の育成を通して世界の恒久平和を実現できる国を目指して頂ければと願っております。
色々述べてきましたが、今、気がかりで非常に残念なのは、昨年の国会で成立させるべく最後の最後まで粘った「良質かつ適切なゲノム医療を国民が安心して受けられるようにするための施策の総合的な推進に関する法律案」(通称ゲノム新法)の成立が果たせなかった事であります。今後もこの法案の成立までは私の社会活動の一環として成立に全力を挙げるつもりでおります。
以上、心残りな部分もありますが、多くの法案の成立を成し遂げられました。それも、これまで私を支えていただいた先生方始め多くの方々の温かいご支援の賜物だと、改めて深く、深く感謝申し上げます。
議員バッジを外したとはいえ、自分が中心で運用している議員連盟は、まだ6本ほど活動中であり河村健夫先生ともども特別会員として活動をしてほしいとのありがたい申し出も頂いております。先生方のご支援により今後も我が故郷日本の為に活動を続けていくつもりでおります。今後ともこれまでと変わらぬご支援をお願い申し上げ、新年のご挨拶とさせて頂きます。
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